2016/08/28

どうしようもないわたしが歩いている




歩きつづける彼岸花咲きつづける



どうしようもないわたしが歩いている



かの
松尾芭蕉も、

良寛も

宮本武蔵も、

坂本龍馬も、

山頭火も、


フーテンの寅も、


バガボンドだったのだ。
2016/08/28

分け入っても 分け入っても 青い山





うれしいことも かなしいことも 草しげる




おこるな
しゃべるな
むさぼるな
ゆっくりあるけ
しっかりあるけ


(私は、
おこってばかり、
しゃべってばかり、
むさぼってばかり、

速足で通り過ぎ、
むだにしかあるかない


山頭火に、遠く及ばない。)
2016/08/27

冬雨の 石階をのぼる サンタマリヤ (水彩色鉛筆バージョン)






冬雨の 石階をのぼる サンタマリヤ


山頭火は訪れた。

今で言うと、

この大浦天主堂は、

日本最古の現存するキリスト教建築物。

天草と共に、

「隠れキリシタン」が守り続けたとされている。

大浦天主堂は、

その綺麗なステンドグラスでも、有名である。
2016/08/27

疲れた脚へ トンボとまった




脚だから、(レッグで、フットではなく)

いわゆる投げ出した脚の脚絆のひざやすねや太腿などにとまったのだろうが、

トンボさんを、
足先(フット、トウ)に描いてみた。草鞋を意識してそこに停まれるように、描いてみた。


細かいこと考えなくても、

山頭火の足や脚や肩や、手や腕先なら、どこにでもとまりそうだ。

「笠にトンボ とまらせて 歩く」

と言うような句もある。


とんぼもこうろぎも(現代仮名遣いでは、こおろぎが正解)、みな、山頭火の友達だろう。
友達が居るということは、良きかなである。友達が居なくなったものにとっては、一番辛い。

山頭火のともだちは、

酒とこの詩歌の俳句と神羅万象と大自然と小動物と病気も、実はそうなんだったのかと考察する。

惜しい人をなくしたと思う。


種田山頭火

「疲れた脚へトンボとまった」

という句があります。

種田山頭火の句です。



山でへばって、地べたにゴロンと体を投げ出した時に必ず思い出すのが、この句です。


疲れ切って放り出した脚にトンボがとまり、
あまりの疲労のため振り払う気も起きない状況は想像するとユーモラスです。



トンボの方も、人の脚とは思っていないような、、、、。
2016/08/27

山頭火はフーテンの寅さんだったか?



山頭火の正体は、フーテンの寅さんではなかったか?


調べてみると、

渥美清さんは、俳句を読んでいたという証拠がみつかった。



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6、風天句の代表作、話題作

それでは、渥美風天はどんな俳句を作っていたかという話に移ります。

以下は話題作と著名な句友たちを中心にそれぞれ選んでもらった代表作です。

数字はその句を作ったときの年月と渥美清の年齢。黒丸ボタン印のお名前はその句の主な推薦者。私の好きな句は「お遍路」の句です。



   さくら幸せにナッテオクレヨ寅次郎=1973年3月、45歳
   (話の特集句会に初めて参加した日の作。妹さくらが季語でもある)

   コスモスひょろりふたおやもういない =1973年8月、45歳
  黒丸ボタン金子兜太(俳人)、大串章(俳人)=(朝日新聞「朝日俳壇」08年7月21日朝刊)

   好きだから強くぶつけた雪合戦 =1973年11月、45歳
  黒丸ボタン矢崎泰久(話の特集編集長)、小澤昭一(俳優)

   ゆうべの台風どこに居たちょうちょ =1974年8月、46歳
  黒丸ボタン小澤昭一(俳優)、村上護(作家)=08年9月4日愛媛新聞他

   蓋あけたような天で九月かな =1975年9月、47歳
  黒丸ボタン和田誠(イラストレーター)

   朝寝して寝返り打てば昼寝かな =1975年ごろ、47歳
  黒丸ボタン中村裕(俳人)(文春新書『俳句鑑賞450番勝負』)

   村の子がくれた林檎ひとつ旅いそぐ =1991年10月、63歳
  黒丸ボタン山田洋次(映画監督)

   赤とんぼじっとしたま明日どうする =1991年10月、63歳
  黒丸ボタン清水哲男(詩人)(インターネット「増殖する俳句歳時記」)

   やわらかく浴衣着る女のび熱かな =1992年6月、64歳
  黒丸ボタン早坂暁(シナリオライター)

   お遍路が一列に行く虹の中 =1994年6月、66歳
   (講談社『カラー版新日本大歳時記』掲載句)
  黒丸ボタン村上護(作家)、黒柳徹子(女優)(毎日新聞08年7月24日夕刊)

   花道に降る春雨や音もなく  =1995年1月、67歳
   (亡くなる1年前の作。付き人にがんを打ち明けた時期と重なる)
  黒丸ボタン読売新聞「編集手帳」子(08年6月24日朝刊)




7、渥美清にとって俳句とは何だったか?

風天俳句の特徴は、
難解な言葉は一つもなく、句意が明快であることです。

プロ俳人の中には「素材だけを投げ出してあるかに見える」と技術的な問題を指摘する人もいます。しかし、ストレートに気持ちをぶつけ、心の内を吐露した句の数々に私は胸を打たれます。

よく出てくるフレーズは、
おでん屋、植木屋、豆腐屋、げんのしょうこ、打ち水、新内流し、ラムネ、ボート屋、竹馬など古きよき時代の昭和の下町文化のキーワードが多い。

「げんのしょうこ」は「現の証拠」と書きます。古い方なら子供のころ何かの病気でお世話になったこともある薬の名前です。

そこに「いつだって/誰もいない/どこへゆく/しかたない/これからどうする/ぽつんと」など風天流の孤独と寂寥がない交ぜになった表現がかぶさります。


「男はつらいよ」でお馴染み、得意の啖呵売(たんかばい)を思わせる自由奔放、巧みな比喩、ユーモアとペーソスなどサービス精神あふれる寅さんの顔も散りばめられています。
2016/08/27

夏の終わり つくづくほうし ほっとして  心(うら)安らかに  長袖準備  (のんき作)

※ ちなみに、つえの上にある黒いものは、一応、つくづくほうしのつもり。画を説明するようになったら、終わりだが。



森山直太朗が、

細い高い声で、鳴いている。


蝉がその主役を交代して、次の季節の到来を予感させる。

なんとなく、

物悲しい、


あれほどぎらぎらしていた過ごしにくい夏が、遠ざかることに、寂しさを感じる今日この頃、

夏休みに、
家庭教師にいって、よくもまあ、こんなに宿題なるものを出しているなと思えた。

それだけ、こなしたら、みんな天才だろうというぐらい、各教科の担任がよってたかって、我も我もと便乗商法みたいに、バーゲンセールみたいに出していた。

いっとくけど、
それぞれの担任のせんせいは、全部、これだけやらんだろう。

受けた本人はせなんとぞ、
誠実な馬鹿真面目な親御さんは、四苦八苦する。

そして、實はこれをこなしても、実力は上がらないし、効果的でないし、勉強嫌いの大量生産しかないのである。

私は取捨選択しながら、

具体的に方法論を示し、加勢した、自信をつけたYは元気が出ていた。

他の子は間違いなく、

2学期不登校病になっている。

夏の終わりに、

つくつくほうしが鳴きだして、ほっとする気持ちと、なんだか寂しい気持ちと、心やすらかに、心(うら)安となり、穏やかになる。

残暑は残しつつも、
夕方等の風の音にぞ、驚かれぬる。

風向きがかわり、長袖が恋しくなる。

四季の曖昧な美味ような変化が、熊本に秋の到来を急に告げ、秋と言う素晴らしい季節は、確か、2週間ほどで、いつのまにか、過ぎ去り、

いきなり、冬将軍の季節になる。その前後の、小春日和などは、わずかに数日でおわる。

ほんとうに
熊本は、暑かあ、ぬっかあと、寒かあ、しかないのである。


下記は引用


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この旅、果てもない旅のつくつくぼうし





山頭火の一句-句集「鉢の子」所収だが、いつ詠まれたものか定かではない

ただその前書に
「昭和二年三年、或は山陽道、或は山陰道、或は四国九州をあてもなくさまよふ」として、



 踏みわける萩よすすきよ

 この旅、果てもないつくつくぼうし


の2句が添えられている。


―表象の森―「群島-世界論」-03-

ウラ、
という神秘的な音に、このところ私の耳はとり憑かれている。
そして音を媒介にして音と意味の連鎖を文字テクストのなかに探り出す衝動、という意味においては、

私の「耳の眼」もまた、
ウラという音を持った文字にとり憑かれている、とつけ加えるべきだろうか。

ウラという音は、おそらく日本語におけるもっとも深く豊かな意味の強度と地平の広がりを抱えた、始原的な音の一つであるにちがいない。

たとえば、心と書いてウラと読む。

この万葉以来の用法からすぐに気づくことは多い。

心悲しい、心淋しい、心思い、
というときのウラは、意識の内奥、すなわち表に見えない心中の微妙な機微にかかわる音=ことばである。

「心安~ うらやす~」とは、心中安らかな、という意味で万葉集のそこここで見える用法であるが、

地名ではこれを「浦安」と書いたりする。

ウラという音をなかだちに、心が浦に通じていることはあきらかだ。

 -今福龍太「群島-世界論」/3.浦巡りの奇蹟/より-