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2020/04/11

鎖骨の功罪。





鎖骨って、

肩を痛めた時に、、壊れるように出来てるって聞いてきた。


しかし、


わたしは、

ラグビーをがんがんにやってきて、タックルを猛烈に、 、ぶつかって来てたけど、、、

両股が180度に開いたように、身体が柔軟で、

鎖骨を骨折した事は、一切無かった。

怪我という怪我は、右フランカーで、ダッシュして、、、右肩タックルに行って、ガツンと衝撃を喰らって、倒れた。
その詳細は、
なんと、味方のスタンドオフの左膝で、右眉をボクサーのように切って、ぶっ倒れたのだった。
血が吹き出ているのが分かった、敵の相手が駆けつけて、
こう言った。
「ばあ、のんき、ダメぞ、ほげとる(陥没しているという意味)」
私は、
将来を悲観した、

然し乍ら、
救急車に運ばれて行った先の、
救急外科手術は、、、、、、

わずか、5針縫っただけだった。

眼球の眼窩の周りは、よく切れるのだ。

私は、
今も、オヤジラグビーを継続している。

2020/02/03

只今、5トライー次の日本代表




進化する選手、ただいま5トライー

ナエアタ

トンガ出身
26歳。
193センチ、113キログラム、


神戸製鋼
フランカー及びナンバー8、

昔、オールブラックスに、ジョナロムーという最高のウイングがいた。

身体が大きかったので、最初は、フォワードをしていたが、
トライをいっぱいとる、
足が超絶速いという
理由で、ウイングに抜擢されて、

最多のトライをとるようになった。
しかし、
40歳で、病気でなくなった。

全世界の、多くの仲間、選手、ファンが悲しんだ。

葬式には、全員で、ハカをおくった。


そのジョナロムーを想起させる選手が、いま、神戸にいる。

FWのナンバーエイトなのだが、4試合で、5トライを奪っている。凄まじい決定力、破壊力だ。



次の日本代表選出については、間違いないだろう。


2020/01/26

マーフィーは暴力団、全く反省をしていないー即、首で永久追放だ。





今日のマーフィー(NTTドコモ)に、がっかり。

その乱暴プレイにだ。

相手が、クボタで、密集の中で、
自分にタックルなどをしながら、からまっていた選手に対して、

はなせ、はなせ
というように、平手で、叩きまくっていた。
その後、
確か、グーになって、殴っていたように見えた。


レフリーが、
テレビ画像で確かめていた。


当然、ラフプレーアンドシンビンだと思えた。

が、しかし、
注意はあったものの、

何もカードは出てこなかった。

こんな審判体制でいいのか。

明らかに、マーフィーの行為は、暴力行為で、
トップリーグに、
喜んできている、ラグビーファン及びにわかファンに対しての、
冒涜である。

マーフィーは
なにやら、わめきながら、味方に対しても、荒い調子の大声を出していた。

品がない、
見苦しい、
何やら、自分自身が調子がわるいのですか??


マーフィーは、数年前に、
スーパーラグビーのチームにいて、同じチームの同僚に対して、

暴行行為をおこない、
警察に逮捕され、

相当な額の賠償金を払い、

一時的に謹慎状態であり、、、多大な迷惑をかけていた。


今日見る限り、
その時の反省がない、
味方にも、相手にも、荒っぽいプレイをしていた。


観たくない。

マーフィーがどんなに突進力があり、多くのトライを奪える選手であっても、

今日のようなプレイや態度は御免被る。

青少年の健全育成の反対をいっている。

反社会的であり、
まるで暴力団の存在である。

つまり、
相撲界の白鵬と同じである。

勝てば官軍なのか???
強ければ、威張っていいのか、怒鳴っていいのか、殴っていいの???

はき違えている。



日本ラグビーから、

けじめをつけて締め出さないと、

もっと大きな事故か、大事件がおきる。

反省している顔ではない。

首である。


今日のレフリー以下、審判団にも、処分を出してほしい。

もっともっと、
毅然とした、笛をふいてほしい。

日本代表選手に対して、
何やら、、、そんたくをしているのか、

そんな甘やかしは、いらない、

せっかく、8強になった日本代表が、また弱くなる。

相手が、暴力をふるっても、こちらはダメだ。

オリンピックの他のいろいろなスポーツにおいても、
ルール遵守は、同じことが言える。


コンタクトが多いスポーツだけに、いちばん、厳しくとりしまってほしい。



2020/01/16

四半世紀25年を経て、第三高炉の鉄が鋼になる


(神戸製鋼の赤ジャージに、「第3高炉」の文字が入る予定だ。
先日のレタリックの大活躍を君は見たか、ダンカーターが言った通り、世界最高のロックであった。レタリックは、オールブラックスから、神戸にやってきてくれた。)



何だろう???

暗がりに、イヤホンを差し込んだテレビが、赤焼けていた。
朝焼けだろう、、、、


1995年 1月17日だった、早朝、、
この日は、忘れもしない、日だった。
私は、熊本機能病院という救急スポーツ外科界では、有名な病院の一室に、

入院していた。
バルセロナオリンピックに呼ばれるはずだったスポーツドクターのT先生が主治医だった。


左膝前十字靭帯か半月板をいためたであろうために、開いてみるために、内視鏡手術をする予定日になっていた。
その一か月前に、、
私は、社会人リーグ定期戦のラグビーの試合において、奮闘していた。
ボールをキャッチして、突進して、今でいうダブルタックルをされた。上半身をとめられて、下半身の左太ももにタックルが来て、逃げられなかったーそれで、味わったことがない痛みがきて、ぐぎっといっていた。それで自ら退場しようとしていたが、馬鹿な先輩野郎に、「そのくらいで、交代するのか?」と揶揄されたので、無理して出場した、それがいけなかった。しばらくプレイをしたが、その次の急加速のステップで、完全にぐぎっといって、歩けなくなった。
トレーニング不足で、全身の筋力が弱まり、特にひざ周辺あたりは、衝撃に弱くなっていた。



その内視鏡外科手術が怖くて、
この17日に、早く目が覚めていた、
寂しいので、違反だが、テレビをつけていた、光がこぼれないように工夫をしていた。

隣の入院患者に迷惑かけないように、イヤホンマイクを差し込んでいた。

だから、
最初は、何がなんだか、よくわからなかった。

どのチャンネル回しても、同じくらい画面だった。

画面は、どうやら、神戸の街並みでも、それでも真っ暗で、ところどころに、赤やオレンジが見える、、
なんなんだ??
えええ、、、

映画か、
黒澤明風の映画だなあと感じた。
こんな早朝に、映画はない。

火事???
火事か????

火事だ、、、
なぜ、

なんだ、、、

だんだん、少しずつ少しずつ、
朝ぼらけが、すすんでいく。

地震なのか、

地震でこうなるのか。

やがて、白い煙と黒い煙が、入り混じり、、、、、なびていた。

熊本も神戸もまっくらだったが、やがて明るさを取り戻していった。


どうやら、神戸で大地震が起きたらしい。
火の手がまわり、

街が狂っている。


私の病院も、騒ぎ出したが、どうしようもない、
病院内は病気怪我に、集中するしかない。


私の周囲は、

左ひざの手術の準備で、それに対して集中するしかなかった。



あれから、25年、四半世紀という年月が経つのか、、、


また、、あれから、、

日本という小さな小さな島国は、極端な災害、大地震、大津波、豪雨、などに見舞われてきた。


わが心の支えのラグビーは、
神戸製鋼が、昨年度、再び優勝して、もりあがってくれた。
ワールドカップは、日本が史上最強ベスト8をとってくれた。

2020年は、トップリーグは、始まった。
東京五輪もある予定だ。
2020/01/10

ノーサイドゲーム〜〜馬と鹿という主題歌、馬鹿でしかわからないこと、馬鹿でしか出来ないこと




米津玄師
は、楽曲の天才だろうが、
詩才もあり、
人を動かす歌がつくれる。


お借りしました。

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大泉洋主演、TBS日曜劇場『ノーサイド・ゲーム』。

このドラマは大泉洋演じる、
大手自動車メーカー経営戦略室次長の君嶋隼人が、
上司の意向に歯向かい左遷され、横浜工場の総務部長と低迷するラグビー部のゼネラルマネージャーの兼務の命によって、、、、
自身と共にラグビー部を再起していく物語である。




この物語の根底にある、
「理不尽に襲い掛かる逆境に対して、傷だらけでも、不器用でも、諦めずに立ち向かっていく、」
というテーマを、

米津玄師は、この『馬と鹿』にて詩的に描いている。

その意味を独自に解説していく。



痛みでわかる心

馬と鹿 歌詞
米津玄師
作詞 米津玄師
作曲 米津玄師

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歪んで傷だらけの春
麻酔も打たずに歩いた
体の奥底で響く
生き足りないと強く
≪馬と鹿 歌詞より抜粋≫


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春は、希望の季節だ。

別れもあれど、出会いの多い季節であり、恋心の芽生えや、恋愛事が始まることを、「春が来た」と形容したりする。

何か新しいことが始まって出会える、その希望と期待感に満ちているのが春だ。

しかし、
ここでは、およそ希望を感じさせない言葉が、春に付随している。

“歪んで”、”傷だらけ”というネガティブな言葉が春に飾られており、そこからは、決して希望も期待もない出会いがこの人物にあったことがわかる。

だが、
彼はその、望まない春に与えられた痛みを、誤魔化さずに受け入れて進もうとしているのだ。

その現実から逃避するという”麻酔”を打ってしまえば楽になるはずが、
彼は痛みと共に歩いている。

それは、
“体の奥底”で響いている、まだ生きようとする強い意志から来る行為なのだ。

痛みを感じるということは、
まだ自分の身体と心が生きている証であり、
その傷を治して、未来へ向かって更に強く生き続けたいという証でもある。

望まない現在を覆したい、壁を乗り越え未来へ生きたい。と、

まだ“生き足りない”という強い声が、前に足を踏み出させてくれるのだ。




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まだ味わうさ 噛み終えたガムの味
冷めきれないままの心で
ひとつひとつなくした果てに
ようやく残ったもの
≪馬と鹿 歌詞より抜粋≫


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何度も噛み続け、ようやく吐き出しガム。

しかし、
まだ口に残った味の欠片を更に味わう。

その行為から、
求める事象に対して、簡単に答えを出さず、何度も何度も試行錯誤して模索する執念深さが感じられる。

そして彼の、執念深さを持つ心の内の余計なものを捨て、
底に残った唯一のものこそ、本当に大切にするべきものであることを、ここで教えてくれている。




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これが愛じゃなければなんと呼ぶのか
僕は知らなかった
呼べよ 花の名前をただ一つだけ
張り裂けるくらいに
鼻先が触れる 呼吸が止まる
痛みは消えないままでいい
≪馬と鹿 歌詞より抜粋≫


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目の前に現れた望まないモノ。

自分の前に立ちはだかるそれに立ち向かう為に、心が見せた自分が守りたい大切なモノ。

それを強く想う感情の名前が、“愛”というものでなければ、馬鹿な自分にはわからなかった。

そう唄う彼の言葉には、
それがどんな感情であろうと、強く大事にして守りたいという願いが込められているのがわかる。

そして、
その願いが成就して開く花こそ、夢であり、その名前こそ、明確に忘れてはならない名前なのであることを唄っているのだ。

また、
それまでに負った傷の痛みを全て覚えていることこそ、
ここまで生きてきた全ての時間に意味を与え、その願いの価値を失わせない大切なことなのであることがわかる。



揺るがない信念

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疲れたその目で何を言う
傷跡隠して歩いた
そのくせ影をばら撒いた
気づいて欲しかった
≪馬と鹿 歌詞より抜粋≫


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何かに逆らって生きることは容易ではない。

そこに、
正当な理由があり正しい目標があったとしても、
世間や社会、その場のコミュニティにある強い流れには、流されてしまった方が幾分楽だ。


しかし、
彼は、流されたくない明確な強い願いがあり、信念がある。



それゆえに立ち向かうのだ。

その強さに共鳴し、同じ願いを持ってくれる仲間もいるだろう。

だが、心に強さがあっても、その中に弱さが無いわけではない。

その自分の弱さを仲間に気づいて欲しいと、つい吐露してしまう時がある。

ここでは、そのどうしようもない人間らしさが表現されている。

その人間らしさがあるからこそ、願いへの素直さが更に強まるのだ。




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まだ歩けるか 噛み締めた砂の味
夜露で濡れた芝生の上
はやる胸に 尋ねる言葉
終わるにはまだ早いだろう
≪馬と鹿 歌詞より抜粋≫


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逆境に立ち向かう度に挫かれ、転ばされて砂を噛む心。

それでも自問自答を繰り返し、何度でも立ち向かおうとする心が描かれている。

夜露で濡れた芝生も、
やがて来る朝日が乾かしてくれる。


その時を今は待つのだ。




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誰も悲しまぬように微笑むことが
上手くできなかった
一つ ただ一つでいい 守れるだけで
それでよかったのに
あまりにくだらない 願いが消えない
誰にも奪えない魂
≪馬と鹿 歌詞より抜粋≫


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何度失敗を経験しても、
負けない心はある。

だが、その失敗を笑って誤魔化せるほどの器用さは持ち合わせてはいない。



彼の人間らしい不器用さが、ここでは強く表れている。

その不器用で愚直な人間が持つ魂だからこそ、
それは、何にも変えられない揺ぎなく強い信念であり、誰も奪えない崇高なモノなのである。



愚直ゆえの純粋


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何に例えよう 君と僕を 踵に残る似た傷を
晴れ間を結えばまだ続く 行こう花も咲かないうちに
≪馬と鹿 歌詞より抜粋≫


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願いを叶えるために進む仲間の足にある似た傷は、同じ困難に立ち向かってきた証だ。

その証が持つ意味と関係を何かに例えようとすれば、様々な言い方ができる。

しかし、
それをすることもなく、彼らは進める場所をただガムシャラに進もうとする。

願いの成就の為に揺れる花、
それに付随して生まれる多くの花、
その全てが咲こうが咲くまいか、見届けることなく、彼らは必死に走るのだ。




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これが愛じゃなければなんと呼ぶのか
僕は知らなかった
呼べよ 恐れるままに花の名前を
君じゃなきゃ駄目だと
≪馬と鹿 歌詞より抜粋≫


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ずっと、、手放せずに縋りつく感情の意味が、本当は何なのか。

馬と鹿な自分には分かりそうにもない。

しかし、
そこに縋りつきたい願いを守りたい心は本物であり、
純粋なモノである。


そして願いの為に生まれた夢という花は、
不器用で馬鹿な自分には、何にも変えることができない。


もはやそれは自分を支える全てであり、それ以外に代わりになるものなどない。

だから彼は、その花の名前を呼ぶしかない。


たとえ、、反発されようとも、
たとえ罵られようとも、彼にはその花しかないのだから。



不器用で愚直に叫ぶその名前には、
不器用で愚直だからこそ、何も飾ることのない純粋な願いと想いが込められているのだ。



馬と鹿な人間は、決して綺麗とは言い難い、人間らしい純粋さだけを持っている。




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あまりにくだらない 願いが消えない
止まない
≪馬と鹿 歌詞より抜粋≫


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あまりにも強い願いは、他人から見ればくだらないモノに見えるかもしれない。

また自分でも、心のどこかで、どうしてこれほどまで守りたいモノなのか分からなくなるほど、くだらないモノとして映るかもしれない。

だがその願いが、どうしようもなく身体を離れてくれないモノであれば、本当に叶えたいモノであるといえる。

頭で理性的に選ぶ願いには、損得のリスクに応じて簡単に諦めが付くモノが多い。

しかし、
そのリスクを度外視して、どうしても手放せない願いは、人間というひとつの生き物が本能で選んだ願いなのだ。

その願いには、理性で選んだ願いには無い不思議な力があり、失敗に怯まない強い力に繋がっていく。



不器用で愚直で本能のままに進む馬鹿であることこそ、

困難に立ち向える人間らしい純粋な力を手に入れるヒントなのだ。



米津玄師の『馬と鹿』に込められた願いは、ここにあるといえよう。


米津玄師
米津玄師よねづけんし(本名)、
1991年3月10日、徳島県徳島市生まれ。
2009年5月より、ハチという名前でボーカロイドで制作したオリジナル楽曲をニコニコ動画に投稿しはじめる。
中毒性の高い圧倒的音楽センスにより、人気が出はじめる。

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