2018/02/03

引退の    最後にトライ    ノーサイド







煙草すい   おでこ陽射しで   春近し




水ぬるみ  春が来たかと   想うべな




引き際を   伊藤剛臣   釜石で



肌寒し    居合抜きざま    切り裂いて
2017/12/05

四十七人の暗殺部隊





もうすぐ、
12月14日、討ち入りの日、

いくつかの、真実解明の資料や書物もみてきたが、

真相をひとつ言えば、

徳川家が、幕藩体制の立て直しのために、
討ち入りの様相をみつつも、故意にやらせた、

本気でくいとめようと証拠が無い。

シナリオが練られた。
忠義をもって、うちいった、武士の誉れである。
赤穂浪士は、切腹をもって処す、

うんぬんが、大きな纏めである。

浅野内匠頭病気説や、
吉良上野介悪人説も、どれもあやふやで、過半数をいかない原因。

大事なのは、
遺恨ありと、四十七人の刺客が、真夜中に押し入り、大勢の長屋の吉良家の武士たちをその部屋に、
コノの字のカスガイという大工道具で、うちとどめた。
長屋の戸板があかないように止めた。

これ一つで勝負が決まったようなものだ。圧倒的な人数の差をひっくり返した。


それから、
暗殺作戦をもって、
討ち入りをはたした。

という壮大な恐るべき大計画的暗殺事件だった。


だから、
これまでにお決まりのように、
よく出てきた
陣太鼓はうるさいからなし、
名前がはいった派手な衣装無し

大事なのは、

火消装束、鎖帷子、短い刀、短い槍、大工道具などである。

ということである。

後付けとしてつくられたものは、幕藩体制維持と、庶民文化の相乗作用でなしとげられた。

しかしながら、
本当にどうやって出来上がったのか?

興味を持っておもうー。

未明数時間の一晩のミッションインポッシブルであった。
2017/12/03

巨人は相撲修行を





巨人軍は、

貴乃花部屋に入るか、

モンゴル人力士協会とお友達になったら、伸びるかもしれない。

冗談抜きで。
2017/12/02

相撲好きな三郎じいちゃん


(本文と画はなんら、関係ありません、相撲の力士を描きたくないので、かかなかった。)



私の、父方の三郎じいちゃんは、

三度の飯より、相撲が好きだった、そのころ、巷に、少しずつ、テレビというものが普及してきていた。


二カ月に一回、
続けて、私の家に2週間かよってきていた、小さいころは、気づいていなかったが、

三郎じいちゃんちには、テレビがなく、私の家には、新品のテレビがあった。

じいちゃんは、離れ島から、、船にのって、わざわざ、毎日、通ってきていた、
私は、
「じいちゃん、あれは何て読むとね?」

と熱心にきいていた、
「海乃山(かいのやま)と読む場合もあるし、玉の海(たまのうみ)と読むばあいもある。」
無口なじいちゃんは、
相撲の質問には、わかるように教えてくれた。

音訓の区別はわからなかったけども、
小学校1年生の一年間で、相撲取り、力士らの名前を全て読むことができた。
つまり、
その後も、漢字は習わないうちから、読めるのがあたりまえで、わからなければ、自分で学ぶ、あるいは訊く
というのが、
当たり前になった。

それで、新聞も読めるようになり、

国語が大得意になった、
そして、大好きになった。
国語がすべての学科の学力の基礎だから、図書館の書物もどんどんよむようになった。

母などから、読み聞かせ等、一回もしてもらったことがなかったが、
私は弟に読み聞かせをして、
兄に算数と図工を教えていた。
(後年、
私が予備校に通ったときに、現代国語のくまもん県では、かなり有名で、熊日新聞の短歌の指導者の、H先生にならったときのことである。

大学入試の問題において、接続語で、H先生を打ち負かしたのである。前のブログでは書いたものだが、また別の機会に、したためようと思う。)

三郎じいちゃんのおかげである。

無口な寡黙な祖父母たちが、唯一、楽しみにしていた、角界が、
さんざんな
時代になった。

じいちゃんたちは、草葉のかげで泣いているだろう。
2017/12/01

ゆるして、ちょんまげ!





凛々しさがあふれてくる



例の尾頭カットを、

ちょっとしごとしやすいように、またアットホームでは、

後ろで、

ゴムでしばるこのミニポニーテールのかわゆい姿~すてきです。

男性でも、ロン毛をしばる木村拓哉カットもあるし、

ちょんまげふうにしばる侍姿もいいね。


ゆるしてちょんまげ!!


(◆ がしかし、
にせざむらいが多すぎる相撲界だけは、ゆるしてちょんまげには出来ない。

力士、武士、神などを多用しすぎて、公私混同している、マスコミも同罪である。)