
宮本武蔵を、
えがくとき、独りの剣豪なるひとのそれはさも残酷な人物画なのだが、、
そうではなく、
ーふと、風景画を描いている気がしてくる、
地水火風の流れの如く、
万物の森羅万象の出来事のように、一枚の葉が、枝から落ちる。
そうでないと、武蔵はこの世に生まれ、自分の道を成していない気がする。
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元祖、宮本武蔵は、
なぜに、
二刀流を発案、実行したのであろうか。
スポーツ科学や物理学的に、考えてみると。
🔶1.身体が、185センチと
大きくなり、片手で約1キロの大刀を振り抜けるようになってきた。
🔶2.吉岡一門との決闘の中で、
敵が1人、2人、数人、、、数十人、百人以上などと増えていき、
攻防一体の右左の腕の動きが必要になった。
もちろん、最初は、一刀流で戦いながら、自分の刀が折れたり、斬れなくなったりして、小刀や脇差、そして、相手の大刀をぶんどって、其れこそ、臨機応変にやり出した過程があり、結論が、融通無碍にこなしたら、二刀流になっていた。
🔶3.僅かの腕の動きで、
致命傷を与えうる仕業が出来る様になった。従って、大刀を二本ともブン回すようなことではなく、最小限の技で、相手を戦闘不能にさせた。
🔶4.剣術から、今で言うスポーツのような、
自由で柔軟な動きになった。こうあらねばならないというような押し付けの型は無い。武蔵がすること、新しく試すこと、挑むことが、武蔵流になっていった。
🔶5.祭りの太鼓のバチさばきのように、
楽しんで、今で言うドラマーのように、上肢下肢(フットワーク)4本の動きになっていった。楽しい踊りは、1日やっていても疲れない。武蔵はこの境地にあった。
🔶6.緊張と緩和論で言えば、
右腕を使うときに、左腕を休め、左腕を使うときに右腕を休め、身体のバランスを取って居ると言える。
🔶7.武蔵剣術は、
いわゆる太極拳である。
武道のキングと言われる太極拳は、身体の軸の周りに、四肢を振り回し、回転のモーメントや重心の移動によって、次々に倒す。太極拳の極意の中に、1日中、やっていても疲れない。空手バカ一代の大山倍達氏は、世界修行時代、他の格闘技や猛者たちを、全て負かしたが、唯一無二、太極拳の大家にだけに負けたと言う。