2017/10/05

十六夜を




(十五夜より、今夜の方が満月らしい、なんで?、、、、、知らん)

十六夜を、、、、、 鍋焼きうどんに、、、、浮かばせて


焚き火して、、、、熱燗徳利、、、、、、 首つまみ
2017/09/13

芝生に胡坐をかいて唄うおんな ~芝居と芝生~






満島ひかりから、
リクエストされて「ステイ」の弾き語りを、長澤まさみが唄う名シーン。

ちょうど、木々の影のもとで、
芝生がはえている河川の土手で、裸足で座って唄い始める。


遠くに、
東京スカイツリータワー(634m)を満島ひかりがのぞみながら、涙ぐむ。
(平成版の新しい若者たち2014だった、結構わらい、涙した、昨今は消え失せた、兄弟愛、家族愛のごった煮だった、)



地方の古い古い能楽堂をのぞいてみると、能舞台のまえ、つまり、
客席に芝生がうえてある。
これは、
昔からこうなのだ、観客席をあらわす意味合いでもある。
芝の生えている処に居続けて、観るから、芝居という語源になっているのだ。

おいらなんか、
芝生は、外国からきたもんだ、洋風のイングリッシュガーデンなどと勝手に決めつけていた。
恥ずかしい。

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芝居
しばい

  演劇の別称。
本来は寺社境内の芝生の座席の意味であったが,
鎌倉,室町時代に延年会 (寺社で行われる酒宴) や猿楽などの芸能がこれらの場所で行われてから,
見物席を意味するようになり,
さらに桟敷と区別して野天の土間をさすようになった。

安土桃山時代から江戸時代に入ると,
意味は拡大して劇場や演劇そのものをさすようになり,人形芝居,歌舞伎芝居などの語も生れた。
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出典|ブリタニカ
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デジタル大辞泉の解説


しば‐い〔‐ゐ〕【芝居】

1 《5などに由来》歌舞伎などの興行物。しばや。「芝居好き」「芝居通」

2 役者などが演技をすること。また、その演技。「いい芝居をする」

3 計画的に人をだますためのこしらえごと。狂言。「ひと芝居打つ」

4 芝生に席を設けて座ること。また、芝生。
「搦手(からめて)は―の長酒盛(さかもり)にてさてやみぬ」〈太平記・九〉

5 勧進の猿楽・曲舞(くせまい)・田楽などで、舞台と桟敷との間の芝生に設けた庶民の見物席。〈日葡〉

6 歌舞伎など有料の興行物の見物席。特に桟敷に対して、大衆の見物席をいう。
「舞の―で同じ莚(むしろ)に居たる人」〈浮・織留・四〉

[下接語]
操り芝居・田舎芝居・大芝居・御伽(おとぎ)芝居・戯(おど)け芝居・女芝居・陰芝居・歌舞伎芝居・紙芝居・絡繰(からく)り芝居・草芝居・首掛け芝居・小(こ)芝居・子供芝居・薦(こも)張り芝居・猿芝居・地(じ)芝居・書生芝居・素人芝居・壮士芝居・旅芝居・辻(つじ)芝居・道化芝居・緞帳(どんちょう)芝居・人形芝居・初芝居・一人芝居・宮芝居・村芝居



芝居と、一口に言っても、
いっぱいありますね。文化がそれほど、多様で豊かだったということですね。

2017/09/10

浅草キッドって、良い唄ですね



◆浅草キッド
という唄を、竹原ピストルのカバーで知りました。

もともと
びーとたけしが唄っていると知り、

誰の作詞作曲だろうと、
調べてみたら、

ビートたけし本人だと知って、驚愕しました。

もちろん、
映画監督などやボーカルの才能、漫才の才能ははるかなものがあると
思っていましたが、

こんな素晴らしい歌が作れるとは凄いのですね。

あらためて、
リスペクトしながら、今、弾き語りをしながら、練習しています。



「浅草キッド」 作詞・作曲 ビートたけし

お前と会った浅草の
煮込みしかない くじら屋で

夢を語ったチューハイの
泡にはじけた 約束は

灯の消えた 浅草の
コタツ1つのアパートで



同じ背広を 初めて買って
同じ形の ちょうたい作り

同じ靴まで 買う金はなく
いつも笑いのネタにした

いつかうれると信じてた
客が2人の 演芸場で

夢をたくした100円を
投げて真面目に拝んでる
顔に浮かんだおさなごの
むくな心にまたほれて



1人たずねたアパートで
グラスかたむけ なつかしむ

そんな時代もあったねと
笑う背中がゆれている

夢は捨てたと言わないで
他にあてなき2人なのに

夢は捨てたと言わないで
他に道なき2人なのに

2017/09/05

手長海老には、




青いのや、

緑のや、

青緑のや、

白いの(透明ーアルビノ)が居るのだね。


熱を加えたり、焼いたりしたら、みんな、赤くなるのだね。
2017/08/27

座礁しちまった





おいらの舩が、

座礁した。


舩進まず、

身体動かず、


大海の真ん中で、沈んでしまった方が、楽だったのかもしれない

皮肉にも、息している自分がにくらしい、空しい、
息が出来ていることが、

生きているとはいわない、ひとというのは。
生きているだけで、まるもうけ
とか、
いきてりゃやいいのさ
なんて、

歌の歌詞の世界だけのことだ。




羅針盤も壊れてしまった、
食料も
かねも、

尽きた。

どうすればいいのか、わからない,
まったくもって、わからないのだ。


だれそれに、エスオーエスをあげているわけではない。

ひとは、
本当にかなしいとき、かなしいという感情にならないらしい、

ほんとうに絶望した時に、なにをしていいかわからない。



24時間テレビで、やらせをつくっていることが、あげていることが、絵空事のように、憎らしい。
100キロ走るなんていうことの、身体的くんれんなどは、

容易いことだ。
今夜からでもできる、、

そんなことの作られた感動の世界が、阿呆に見えてしようがない。