2018/06/01

あらためて、日本人のうた~ あはがり 朝崎郁恵 を再考する






下記のブログ、
ある方に評価いただいたので、あらためて、
再考するために、

取り上げてみた。

あらためて、
日本人のこころのうたとして、レコード大賞や、紅白歌合戦にとりあげてもらえないかと思います。

★の意見を加味して、つたえてみたい。

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我々、熊本県民は、

「復興」

で、懸命に生きている。


東北も神戸も、新潟も、どこもかしこも、そうだ。

台風の被害の、北海道も岩手もそうだ。

遠いイタリアもそうだろう。


生きている唄だ。

生きなさいという唄らしい。

楽器もなにもない島で、波音だけで出来上がっていった唄だ。

奄美の唄らしいが、
日本の母の代表の唄だ。

よいとまけの唄に匹敵するうただ。

子どもや母を育てていった日本のお婆ちゃんたちの代表だ。



「あはがり」とは、

奄美の島言葉で「すべてがあかるい」という意味です。

(★凄い、光に満ち満ちたことばであり、表現ですね。
「すべてがあかるい」ですよ、
当然、人生に明暗があり、生老病死が横たわり、その四苦八苦や大波小波がありだとしても、すべてがあかるいという開き直った哲学・生き方、
そんな唄がつくられたふるさとは、奄美の、薩摩からの支配への戦いの歴史でした。

あらためて、

生きている唄だ。

生きなさいという唄らしい。

楽器もなにもない島で、波音だけで出来上がっていった唄だ。

「 楽器も何もないが、渚の波音だけで完成されていった 」 のだという自然礼賛ーすごいねえ、この開き直り)

奄美の島唄は、
口伝(★ くでん=口伝の用語解説 - 口授,口訣,面授ともいう。 宗教,学問,芸能などの秘事や作法などを口頭で伝授すること。)で伝えられてきたもので、

私たちが知っているような「歌」とか「曲」のような、定まった形とは違います。


伝えられているのは、いくつもの歌詞のフレーズと、いくつものメロディのフレーズです。


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他者ブログを引用し、シェアしたい。


数多いお気に入りテレビ番組のなかでも特に好きな番組はNHKBSプレミアム「新日本風土記」だ。

昔「新日本紀行」というこれまた素晴らしいNHKの番組があったが、これとコンセプトを同じくする「新日本風土記」は大切に見ていきたいと思っている。

この新旧二つの番組に共通するのはテーマ音楽が素晴らしいことである。
「新日本紀行」は言わずと知れた富田勲の流れるような郷愁を誘うメロディが本編への期待を高まらせた。



今、それと同じくらい良質で、それを聞くと一気に日本の原風景を見るような気持ちにさせてくれる、テーマ音楽としては最高の効果を与える曲に入れ込んでいる。
「新日本風土記」のテーマ(ソング)、朝崎郁恵の「あはがり」だ。




歌詞の内容は正直言ってよく分からない。島唄のような極端な方言の歌詞だ。
それでも心にやたらと引っかかる。

このおばちゃんの歌声がこの番組の映像とオーバーラップすると、不思議に自分が日本人だと意識してしまう。


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「あはがり」


作詞:朝崎郁恵
曲 :沖縄民謡

浮世・・・仮島に何時(いてぃ)がでぃむ 居らりゅむぃ
情けあれいよ 仮那(かな)くぬ世ば うさむぃれぃがでぃ

節や水車めぐりあわそ 
てぃきぬあはがりし たましゃうどぅてい

いきしゃん くとぅあてぃむ 天と大地や 
てぃきぬあはがりし たましゃうどぅてい


(意訳)

この世は神様からいただいた仮の世
いつまで留まっていられましょうか

命を敬い 生きていきなさい
この世の生をなし終えるまで

時は巡る 水車のように だからまた巡り会える
月明かりの下で 人々は喜び 魂が踊り明かす

どのようなことがあろうとも 天と大地の間
月明かりの下で 人々は喜び 魂が踊り明かす

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僕はいろいろなジャンルの音楽を聴く。そしてそれらに対して一切の偏見を持たずに奥深く理解しようとする。
この「あはがり」もなんだかとてつもなく力強く深淵な音楽の一つだ。

アジアン・テイストを感じさせるのは当然だが使われている音階がカンボジアの伝統音楽と酷似していることに気が付いた。
ただしあの国の伝統音楽を語るのは荷が少々重いので辛いのだが、その音楽のエッセンスみたいなものを聴ける音楽がポピュラーの世界には存在する。

その音楽こそがパット・メセニーのアルバム「シークレット・ストーリー」に収録されている「Abobe the treetops」だ!



このアルバムについてはいつの日にかアルバム・レビュー・カテゴリーで詳しく書きたいと思っているのだがあまりに思い入れが強く、原稿書きは難航が予想される。

しかし今日はこのアルバムの中から1曲だけという紹介で、「あはがり」との聴感上の共通点を指摘したい。

カンボジアと奄美大島の音楽がこれほど似ているという点が今さらながら面白い。
2018/04/08

東京ダービー川柳




(ヤクルト編)

青木旋風   東京音頭に  3タテよ


コツコツと   小川野球   復活だ


生き生きと  ヤクルト呑んで  元気よく


バレンティン  守備は度外視  4打点



(巨人編)

先発崩れ   上原浩治   出番なし


攻撃も    守備も無策の   吉伸


サングラス  吉伸監督     泣いている


久々の    代打阿部だが  打てません


わたし まけま したわ (字足らず、点足らず、気合無し)

2017/11/15

オッパイは地球を救う その4




失敗は成功の基


オッパイも成功のもと
2017/10/14

失敗しなきゃいいんでしょ。






そうです、
失敗したら命なくなります。

失敗は成功の基でもありません。


政治も失敗が赦されません。
失敗をくりかえすひとたちばかりが、政治家になり、鼻高々に威張っていませんか。
みそぎ選挙なんて、ありえません。

2017/09/12

般若の面




怒りというものは、
心理学においては、悲しいという感情のひとつの表現である。

怒っているひとは、表面的に、いっけんこわいものがあるが、
実は、困っていて、哀しくて、それを訴えているのである。

私は、よく怒る人で、人から嫌われているひとの、かなしい気持ちがよくわかってきたことがあった、だから、よく怒りを訴える人と、じっくり話すことが出来てきた。
それは老若男女のいずれにおいても、そうだった。

逆に、
平然と、
ニコニコしながら、
丁寧な言葉ばかりしゃべっているひとに多いのは、
慇懃無礼で、
人を能力主義でみて、決めつけ、上から目線の人が多かった。

難しい人権問題をさもわかったように語るその口が、信じられないことが多かった。





般若の面(はんにゃのめん)、
般若面、あるいは単に般若は、
「嫉妬や恨みの篭る女の顔」としての鬼女の能面。


本来、「般若」(サンスクリット: प्रज्ञा, prajñā)は仏教用語で、
その漢訳語「智慧」(日常用語の「知恵」とは意味が少し違う)の同義語である。

しかし、語義と面の関係は薄い。

一説には、
般若坊という僧侶が作ったところから名がついたといわれている。

あるいは、『源氏物語』の葵の上が六条御息所の嫉妬心に悩まされ、その生怨霊にとりつかれた時、般若経を読んで御修法(みずほう)を行い怨霊を退治したから、般若が面の名になったともいわれる。

能では、
葵上や道成寺、黒塚などで般若の面が用いられる。


仏教用語としての般若が一般的でなくなった現代日本では、
「般若」を「般若の面」の意味で、さらには、「嫉妬や恨みのこもる女性」という意味で用いることもある。