2017/06/06

偶発的に奇跡を起こしていく




在宅医療を選んだ小林麻央、
夫の市川海老蔵がいう、

「偶発的に奇跡を起こしていく。」



人々を救う奇跡をおこしつづけたから、処刑されていったイエスキリスト、

ゴルゴタの丘で、

夕陽に照らされて、

太陽の赤か、滲む血の赤か、わからない。


キリストが起こしていく奇跡は、
後世のわれわれが、生きていくという事だ。
2017/06/04

奇跡の大逆転勝利を2つ、つまり金メダル 石川佳純・吉村真晴組




夜、8時過ぎに、準決勝で、熱戦、
リードされていたのを逆転して、勝った。カスミンが姉さん女房のような修羅の形相で、スマッシュを決めながら、相棒吉村の良さを引き出して、強気に打たせていた。
ユニフォームは、黄緑色だった。



そして、
2時間たったか?と思っていたら、
インターネットは、奇跡の大逆転勝利だと伝えていた、ユニフォームが、そのフォトが、赤色だったので、

間違えている
と一瞬、想った、

、よおく見直してみたら、

何と、
「金メダル」
と伝えていた。
決勝で、
死闘となり、4-3で逆転勝利したのだった。これはすげえ。ものすげえ。金メダルに値する。


死闘で、
大逆転とは、男女卓球軍団は、侍の軍団だね、間違いない。
2017/05/06

凄い、9点差をひっくり返し阪神首位





凄いねえ、ホンマ、
阪神さん、

あの強い広島をひっくりかえした。

9点差を、大逆転して
12-9で、勝利して、とうとう首位をうばいとった。

面白かったね。
糸井効果か、北條効果か、梅野効果か、とにかく凄いねえ、

何年ぶりかの阪神優勝の可能性はあるよね。
2017/05/02

破竹の勢いとは、




破竹の勢いとは:

中学生の藤井四段が、加藤一二三(元祖天才~現・ひふみん)、羽生善治三冠(元祖神童から天才、将棋の神といわれる46歳)と、
破竹の勢いで、15連勝をして、おとなたちを負かしている
というような使い方をされている。

辞書的には:
竹は、一節をわると一気に全部割れるから、破竹の勢いというふうに使われるとある。


故事成語にこだわって考えてみよう:

(以下参考文献から)


【意外と知らない三国志故事】 破竹の勢い ~ 杜預による呉平定~


【意外と知らない三国志故事】 破竹の勢い ~ 杜預による呉平定~
  三国志と言えば、
「桃園結義」から始まり、
諸葛亮の無念の死去、
「蜀の滅亡」までの流れがよく知られています。

しかし、その後の三国志の物語は意外と知られていません。

「三国志」と名前がつくものならば、
当然魏・呉・蜀「三国」全体が終わるまでを知ることが「三国志マスター」への道だと思うのですが、
実際には魏が晋に変わったり、
蜀が滅亡したりと、「三国」であった時期はそれほど長くないのです。
しかも、諸葛亮のような奇抜な作戦を用いた合戦も少なく、どちらかというと政治的抗争の物語が多くなっていきます。

ですが、
「三国志」の終焉となる呉平定では、私たちのよく耳にすることわざができたのです。

それは「破竹の勢い」…晋の将軍、杜預(とよ)による言葉です。


杜預の不遇時代

杜預は名門の知識人として知られておりましたが、父が司馬懿(しばい)と相性が良くなかったので、罪を着せられ、しまいには幽閉されて命を落としました。


「晋の基礎を築いた司馬懿」

名門であるにもかかわらず、杜預はこのために長年不遇の環境に身を置くことになったのです。

しかし、杜預は司馬懿の息子である司馬昭(しばしょう)の妹婿であったため出世し、父祖の爵位にも就任することができました。

そんな杜預自身は乗馬や弓術が得意ではなく、武人としての素質はありませんでしたが、蜀討伐のときには鎮西長史として従軍しました。

鐘会のクーデターで鄧ガイの殺害が行われ、そのクーデターの鎮圧後、杜預の同僚はすべて重罪が課せられてしまいます。しかし、杜預自身はクーデターに参加しなかったので、その罪に問われることはありませんでした。

最初は不遇であった杜預でしたが、その勤勉ぶりを評価され、呉平定の代表として都督として鎮圧に向かうことになったのです。



破竹の勢い

武帝(晋の初代皇帝 司馬炎 しばえん)は、かねてから呉を討伐する計画を立てていましたが、賛成者は少なく、実行に移しづらい状況でした。


「武帝 司馬炎」

武帝のように呉平定を考えていたのは、杜預を始め、当時の司令官であった羊コ(ようこ)などを含めた数人でした。羊コは病を抱えていたため、後任に杜預を推挙します。

羊コの病没後に行われた司令官交代の隙を突いて呉がせめてきましたが、杜預によって惨敗を喫します。

このことにより、呉の将軍と君主孫コウ(そんこう)の間には不信感が生まれ、呉の国自体も傾いていきました。これを察した杜預は早速、呉平定の上奏文を送り、武帝の許可を得て、呉の侵攻を始めたのです。

建業の近くまで来た時、長雨の時季も相まって退却の提案が出ましたが、杜預はあくまで侵攻を唱えました。

「 楽毅(春秋戦国時代の燕の将軍)は一回の大会戦で燕を大国にした。
今、我らの兵の勢いも奮い立ち、
例えれば竹を割くようなものだ。

数節刀を入れれば後は手を使えば簡単に割れる」
(数節は当時の観念では1節が15日、つまり、竹の節と暦の節を掛けたもの)


破竹

その杜預の言葉が後押しとなって侵攻は進み、呉は晋に降伏しました。ここに、統一を見なかった三国時代が終わったのです。また、この杜預の言により「破竹の勢い」という故事成語が誕生したのです。



ちなみに杜預は杜甫(とほ)の祖先と伝えられています。杜甫はとても有名な詩人ですが、その祖先も歴史に刻まれる名言を残したのは面白いですよね。

2017/04/30

奇跡ではない、羽生が「参りました」と言った





あの将棋の神

いわれた

羽生が、

「参りました。」
と言った。


中学生藤井四段にである。
5歳から始め、
ひらがなより、将棋の駒の漢字をおぼえた。

先日、プロになったばかりで、トッププロたちに6勝1敗に、勝ち続けた。勝利の内容はぶっちぎりの完勝らしい。(ひふみん、セッド)
ひふみん
とは、加藤一二三であり、中学生からプロになった元祖天才と言われている。

歯も抜けて、間も抜けている。

ひふみんの話ではない、

羽生と藤井の戦国時代になっていくのかの話である。