2017/04/27

達磨の画に想う





初め、
隠れた文字が見えなかった、「身」という細長い文字がみえた、

調べてみると、
元北海道道警のKさんが、
講演など、達磨の画を描いたり、少年院に訪問したりして、青少年に好きな文字を考えてもらい、それらを、達磨の衣にしのばせて、書いているのだと、
わかり、
凄い社会貢献の活動何だなあと感じた。

そうしたのち、
見直すと、「感」のカスレ文字が見えてきて、「謝」の字がみえてきた、つまり「感謝」なのだと分かってきた。

感謝が出来るように、少しずつ、なっていけることは、落ち着いていくということだろうと思う。

宮本武蔵が描いた達磨を勉強している内に、上記の項目に出逢った。

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達磨には、なぜ手足がないのだろうか?


諸説あるだろうが、

達達磨大師は
手も足もなくなってしまうほど修行したといわれています。
この坐禅をしている姿をモデルにしているのがダルマ人形です。

私たちと同じように手足はあるのですが、衣に隠れているだけです。

実際に僧侶が坐禅をする場合、
足は衣で包まれていますが、手は印を組み、見えています。

手を衣に隠さないのが坐禅の流儀なのですが、達磨大師の絵像の多くは手が衣によって隠されています。
手まで衣で隠れている総像を書くようになったのは日本人の画家の手によるようです。

「手足がない」ことは、
「手も足も出ない」ということではなく、

「災難や失敗には手を出さずへ損失に足がでない」
という意味があります。

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とのことであった。

がしかし、

説の正論は理解できる。

でも、
色々な事情や病気や障害によって、
災難や失敗や大失敗に出くわすこともあるのです。
そのへんが、常人には、理解されず、すべて「自己責任」の名のもとに、捨て置かれます、棄民されます。

感謝できる状況のひとは、ある一定度、保障されていて、健康で、幸せです。これは私自身の被害妄想ではありません。
事実、
世の中には、そんなことがあります。

だから、
この画の達磨の画や感謝の書も、すんなりとは受け入れられないのです。でも、武蔵の剣の修行を真似てあこがれて、、、

描いて書いて自分なりの修行をしています。


それが私のブログなのです。

2017/04/22

バガボンド復興


(この37巻で、最後の言葉は、「小倉かあ」。佐々木小次郎との巌流島決戦を前に、「百姓」にずっととどまっている。是非は別としても。)


祈るーバガボンド復興、

くまもと復興、

日本復興、

戦争反対。
2017/04/21

合掌です





真央ちゃんファンも、

そうでないひとも、
いろんな人々が居ていいじゃないですか。


みんな、


合わせて、


合掌です。
2017/04/16

晴れやかに、 引退会見  ひとつのショー



上品でした。




真央ちゃん、お疲れ様
2017/04/15

真央韋駄天




世界中で、
トリプルアクセルを8回も飛べる

天才は居ない。




浅田真央は、半端ない跳躍力の有る 韋駄天である。