2017/05/21

冨永愛は、虐めとたたかってきた





冨永愛さんは、
のっぽなどのいじめ・不登校などと、ずっとずっと闘ってきた。


相変わらず、いじめが多い、日本国、

いじめるほうは、一方的に、なんらかの違いを見つけ出して、スポイルしてくる、
そして、
それほど、虐めをし続けている自覚症状が無い。

目の前の教師達も、実は気づくが、気づいていないふりをする、面倒くさいと思っている。
2017/05/20

共謀罪は、狂暴罪





共謀罪は、狂暴罪


人間の内面まで、勝手に踏み込んでくるから。

歴史関係で、最近つとに、高名な
磯田道史先生も、めずらしく、力んで、テレビの画面で、訴え、

言っていました。

この法律はあぶない、
にんげんのこころに入ってくるから。

と。

冤罪がいっぱいでる。

誰が、怪しいとか、証拠はこれだとか、決めうる決定権・捜査権をもつのか?
治安維持法より、こわいよ、
このネット社会の世の中、「自由という翼・言論の自由」
なんていうものがなくなる。

まるで、ナチスの再来、北朝鮮で即、処分=死刑などの時代が、まさに今、起こらんとしている。

維新の何某という議員さんは、強引・ごり押しであり、民主義の敵であり、与党さんのお仲間だったか。



日本は、いったい、どこに向かって、船をこぎ出したのか。
ふたたび、大日本帝国海軍なのか、日本軍なのか???



だから、
共謀罪は、狂暴ざい
2017/05/02

アンフェアなものは、





アンフェアなものは、赦さない
2017/04/30

解放歌のはげしさの表現は生き生きとしているのだ




日本はまだ、自国民をさべつしていることに気付いていない、
気付いていて、啓発しようとしているが、

知らんふりの態度が見える。

学校で言うと、
人権教育・同和教育という営みなのであるが、教師自身が、未だに、じぶんの問題としてはいない、
だから、
本腰でない、

従って、類する差別・・仲間はずし、・自殺・隠ぺい問題があとをたたない。

解放歌は、
難しい言葉がつづくか、拡張は高く、精神は高揚している、ひとつの解放文化ロックである。


今の時代なら、ラップ調でも歌えると思う。




「解放歌」 ※あゝ玉杯に花うけての節で

ああ解放の旗高く 水平線にひるがえり
光と使命をにない立つ 三百万の兄弟は
今や奴隷の鉄鎖断ち 自由のために闘かわん


我等はかつて炎天下 地に足灼きしハダシの子
惨虐の鞭ふるるとき 鮮血飾る荊棘(けいきょく)の
断頭台下露しげく 鬼哭啾々地は暗し


鬼神もおののく迫害や 天地も震う圧制に
魂砕き胸破り 恨みをこめて永(とこし)えの
墳墓にさらす屍の 上に築きし奴隷国


櫛風淋雨(しっぷうりんう)千余年 九天廻る太陽も
蒼穹(そうきゅう)さゆる月さえも 我等のために照らざりき
狂宴乱舞に散る花も 我等のために咲かざりき


ああ虐げに苦しめる 三百万の兄弟よ
踏みにじられしわが正義 奪い返すは今なるぞ
涙は憂いのためならず 決断立って武装せよ


一致団結死を契い 堂々正義の道ゆかん
行く手さえぎる者あらば 断々乎として破砕せよ
我等を阻む者あらば 一刀両断あらんのみ



ああ友愛の熱き血を 結ぶわれらが団結の
力はやがて憂いなき 全人類の祝福を
飾る未来の建設に 殉義の星と輝かん



オスカーの作品賞他を受賞した
『それでも夜は明ける』
をみながら、この『解放歌』の歌詞が脳裏にかけめぐった。

先日TVでみた『ミシシッピーバーニング』は南部出身の白人保安官がKKKと同じやり方で報復する話だった。

『それでも夜は明ける』は
差別迫害される当事者から徹底的に描かれている。

最後にカナダ人の大工に託した手紙により12年間にわたる奴隷から救われるのだが、
救われたのは彼だけであり、他の黒人は依然として奴隷のままなのである。

映画のエンドロールで
満席の客の半分が席を立ってしまった。
自己も同じ差別者として後味わるかったのだろうと思った。

差別のあくどさと犯罪性を思い知らせる意味で、こういう映画がもっともっと制作され公開されるべきだと思った。

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黒人差別という人種差別は、、日本の部落差別と、似ているようであるが、似て非なるものである。

前者の、人種間の上下関係は、アングロサクソンの白人を頂点として、明らかにピラミッド構造が出来上がり、
差別ではなく、区別である、
白人と黒人と有色人種は、明らかに違うから、われわれは区別していると、アメリカやイングランドのインテリたちが、
まことしやかに、
述べる。

簡単にいうと、「人間にある線引きをして、区別というのは、大きな概念から言うと、明確な差別である。

後者の
日本の部落問題は、
同じ日本人民族の中で、歴史上で、被差別状況においやられた地域のひとびと、祖先たちを、平成の21世紀の今でも、れっきとした差別をしていることである。

明確なのは、結婚差別だ、

日本人は、全体ととして、いまだに、学習不足であり、解放されていない、過去の歴史をまだにもひきずっているから、
天皇にお嫁入するときに、
雅子さんは、八代さかのぼって、調べられた。
身元調査である。

それが、
合格したら、今日の10時から、雅子さんを、「雅子様」と呼ばねばなりません。とNHKの女性キャスターが堂々と述べた。

日本のなかで、未だに、家柄や、お互いの職業や、父母たちのことにこだわる、

「両性の合意によってのみ」
という条文が、浮く。

まだまだ、家対家の結婚で有り、個人の人権なんてない。


2017/03/02

時々、想う




この世に、

本気で、部落差別をなくそうとして、実践しているひとが、いったい何人いるのだろうか?

本気で、世の中を洗濯したいと思って、実行をしている人が、いったい何人居るのだろうか?