2016/07/31

美形のシンゴジラはこいつだ。




また、

初球だった。

初球、同点ホームラン。

立ち上がりわずか1回の裏に、初球をフォークと読み切って、その落ち際を打つなんて言うのは、怪物のほかにない、

ああ、

形容詞が無かったのだった。

首位、ソフトバンクの独壇場だったパリーグ、

追いつかせてきた原動力は、

大谷翔平だろう。

いつのまにか、
4差3差の世界になってきた。


本日の試合、

いきなり、
初回に、
ソフトバンクに3点取られた。

先頭バッターも二番バッターも、ヒットで続き、1点を返した直後だった。

3番に座った、投手大谷翔平、(高校野球ではない、今日は指名打者だった。)
堂々の、
打った瞬間、それとわかるという当たり、直ぐに右手を高々と上げた。

あとで、
コメントした。

会心、初球フォークをねらっていた。

なんとまあ、

羽生の舞が野球界に降りてきたような美しさだ。

小康状態で同点が続いていたが、
日ハムが3点あげた、6-3.

このまま勝つだろう。、

もう一本ぐらい大谷は打つかもしれない。


阿修羅大谷が、ひょっとして、ソフトバンクをひっくり返すのかもしれない。柳田や松田や内川が目立たなくなってきた。

打者としても、
投手としても、

フル回転にならないと、逆転は出来ないかも知れない、怪我だけが心配だが、ひょっとしてひょっとして、ミラクル巨人よりもこちらの可能性の方が高い。

そして、大谷翔平が、MVPになって、

広島でもいい、巨人でもいい、
投打爆発して、投手で2勝、、打者で3本ホームランうって。

獅子奮迅の大活躍をして、
日本一になって、日本シリーズMVPになってほしい。

考えられない大きなゆめをいだかせる選手があらわれたもんだ。

奇跡はおこすためにある。

初球本塁打、
一度起きたことは二度起きる、二度起きたことは、三度起きる。次は奇跡完結。

2016/07/31

観音か、菩薩か、龍か






観音か、
菩薩か、

龍か、

龍の化身は、女体か。

性別を超えた美とは、何をかいわんや。



男体でも女体でも、中性でも何でもない、


すべて、形ではない、魂だ。


中味は、みんな骸骨や。

全部朽ち果ててしまう。

最後はみな土に還ってしまう。残るのは、魂の結果だ。

(一回消した記事だったが、可笑しいことに、墨彩画1位にずっとなっていた、矛盾でしょう。

それならばと、
藝術論争はしたくなかったので、

乳首を墨塗り教科書にして、控えめに、そっと出してみた。)


2016/07/31

シンゴジラか、夕焼けに、ひこうきぐも





シンゴジラの頭部か、

夕焼けに、飛行機雲


太った麒麟かメタボ馬か? ひこうき食べるシンゴジラ


みようによったら、なんでもみえるのね。
御ヒマな時には、 空を見上げよう、

上を向いて歩こう。

(リオデジャネイロは、スマホ歩きは超危ないです。スーパーバクテリアうようよの海も汚いんだそうです、よくオリンピックができますね。)
2016/07/31

くそみたいな人生だ



くらい、

しんどい、

重たい、

ねむりたい。。


もうやめたい、
もうあるくのを止めたい。

とめてくれ、



光か、

闇か、

白か、黒か、


わからない。

生きているのか、

死んでいるのか、

息しているだけなのか、

惰性で、めしくっているだけか。

始まりも結論も無い。


感謝も憎悪も無い、

希望も諦めも無い、、、、
2016/07/31

天下無双ってもんなんぞ、ない




武士の一分

なんてない。


もともと、百姓だが、ひゃくしょうもできねえ。


ただ、生きる、

敵の屍乗り越えていくしかない。進むしかない。

二刀流なんて、怖いからできた、身を守るしかねえから、やっただけだ。


かっこうもない、なんもない。

2016/07/30

武蔵が、唯一、負けた相手




武蔵が、唯、ひとり、

負けた相手がいる。


お通

御存じで有ろう。

この女人は、ずっとずっと、武蔵を追い続ける。

吉川英治原作の小説「宮本武蔵」のなかに、出てくる、実は、架空の人物とされているが、


宮本武蔵のじんせいの長いドラマのなかにおいて、こういう女人がいなかったはずもない。
作者、
吉川英治は、

長い、殺りくのはてのなかに、一輪のはなや、何らかのやすらぎをもとめただろうと推察できる。
にんげんは、弱いものである、

よわいと自覚するから、強さを求めて、諸国をさまよう。

人間には、こんな存在が必要である。
と代表格のおんなを作った。



六十四たびの戦いのなかで、

ただひとり、

この人に負けたという一節が、

いつかどこかのドラマで出ていたと想いだす。


負けてもいいじゃないか、

いや、
最初から負けていた、
大事な女性には、勝てるわけがない。

それは、

やはり、

愛の力は、

殺しの螺旋にも、修行にも、男のわがままにも、勝つことが可能であるし、つまりは、包み込んでしまうということだろう。

綺麗ごとではなく、
古今東西、事実であろう。

2016/07/30

隻椀上等




隻椀だってえ、
そんなの関係ねええ・


波が好き、

ウエーブが好き、

チューブが好き、、

ハワイの海が好きだから、もんだいないよ。

地球がすべらしてくれんだから。

2016/07/30

「出師表」(すいしひょう)から、ターミネーターを考える





中国のくにのことでは、なく、
日本国において、

憲法九条をほごにして、

堂々と、

下記の「出師表」を出して、今の時代だから、

メールひとつで、軍隊の正体をあらわにした自衛隊を送り出す日が、来るかのかもしれないと想うと、ぞっとする。


諸葛亮孔明のような
名参謀というか、
優秀な軍師は、居ないような気がするが。(今は、コンピューターかもしれないし、人工知能が本当に動き出したら、ターミネーターの最終戦争という時代が本当にくる気がする。マイナンバー制度は、そのための、記録コート番号であることを明示しておく。

便利に名を借りた、情報集めが、スマホ旺盛のブームで毎日まいにち収集されている。


諸葛亮孔明は、

三国志で有名だが、漫画も歴史も面白すぎる、本当だろうかとも想う。



「出師表」(すいしのひょう、「出師の表」)とは、

臣下が出陣する際に君主に奉る文書のことである。

「出師」とは文字通り「師(=軍隊)を出す」ことであり、
「表」とは公開される上奏文を指す。

「出師表」自体は一般的な文書名であるが、

歴史上、三国時代蜀の丞相であった諸葛亮が、皇帝劉禅(劉備玄徳の息子)に奏上したものが著名であり、特に述べられない場合、「出師表」とはこれを指す。
2016/07/30

危急存亡の秋(とき)






剛力彩芽が
コック役で出る番組で、

総理が言っていた。

「一国の存亡のとき」
という言葉において、

「とき」は、この場合、「秋」と書く、

三国志から来ている、調べてみなさい。と言っていた。

私は予想した、秋という季節が一番、他の季節と違って、特長なのは、実りの秋、つまり収穫の秋
、それが、
存亡の危機というなら、

食べるものが、そこをつく何かが起きたときが、一番、人民の心乱れ、国が在れる、戦が起きる。

テロなども全て、「飢え」から起きるらしい。・・・・


調べてみた。予想が当たっていた。



合戦続きの、

戦国の時代には、兵糧(ひょうろう)は特に重要なものでした。

穀物の収穫時期である「秋」は、それほどに重要で、忙しい時期であります。

諸葛亮は、

その重要さと危急感を伝えるために「秋」の字を使って奏上したのでしょう。

「とき」と読ませたのは、

『前出師表』を訳した日本人(誰だか分かりません)が、「意訳」したためでしょう。

そんな次第で、

「春」や「夏」「冬」には、「とき」の意味は含みません。


「秋」だけに特別な意味があります。

凄いねえ。

意味合いもそうだけど、
三国志などの

中国歴史と文化。

んん千年の長い重たさ。

今や、落ちも落ちたり、

一党独裁で、民主主義を弾圧し、天安門広場で、戦車で人民を轢き殺し、
新幹線が
脱線すれば、直ぐに、泥に埋め込み、

兄弟国・台湾を敵視し、

南シナ海を牛耳ろうとして、また、東シナ海から太平洋にも進出して、要塞のコンクリート島を建設して、

片や、
恥ずかしげもなく、

堂々とパクリを展開しまくる。

あらたな、
帝国主義でありますな。


今は、いったい、なにもんだい?
2016/07/29

奇跡の隻椀の女子サーファー




水のチューブトンネルを潜るハミルトン、

勢いだけで、描いてみたら、
水のトンネルが、なんか樹木のトンネルみたいになっちまったなあ。まだ画力が足りないなと反省しています。


こんな人がいる、

サメに左腕を噛みちぎられても、

一か月後に、大好きなサーフィンに戻った。
そして、
世界3位に輝いたという奇跡。

日本の学歴を持っているとは知らなかった、

ハンデにめげずに、
こんな風に生きていかれたならなあ、生きていきたいなあ、と素直に思いました。




資料をコピーしました。


ベサニー•ハミルトンさんは
1990年2月8日生まれの26歳。
アメリカ合衆国ハワイ州。

学歴としては岡山県立倉敷天城高等学校を経て、中央大学文学部哲学科を卒業されています。

ハミルトンさんは子供の頃にサーフィンを始め、サーフィン大会の子供部門で優勝するなどし、子供ながらスポンサーがつくなど将来を有望視されていました。

そんなハミルトンさんですが、

2003年13歳のときにサメに襲われて片腕を失うといった悲劇に見舞われます。

そのようなトラウマにもなりそうな事件に巻き込まれたにもかかわらず、

1ヶ月も経たずに再度サーフィンを続けることを決意します。

そして2004年には大会に出場しました。

また2005年には全米アマチュアサーファーの最高レベルの大会に出場しチャンピオンになりました。


ちなみに、
ハミルトンさんは2013年にアダムダークスさんとご結婚されており、お二人の間には息子さんがいらっしゃるそうです。

片腕を失ってもサーフィンを続け、活躍するハミルトンさんの姿には、多くの方が勇気をもらっているのではないでしょうか。

ということで、今後のベサニー•ハミルトンさんのご活躍に期待したいと思いました。