
つくづくぼうしの
画を描いてみた。
山頭火の俳句に、捧げるために、
つくづくぼうしの句を探してみた。
この旅 果てもない旅のつくづくぼうし
年とれば 故郷こひしいつくづくぼうし
二句だった。
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シェアして、下記記事を引用する。
はてしなくさみだるる空がみちのく (仙台)
ここまで来し水飲んで去る (平泉)
てふてふひらひらいらかをこえた (永平寺)
みんなかへる家はあるゆふべのゆきき (大阪)
ふるさとはあの山なみの雪のかがやく (門司~大阪への船の中)
曼珠沙華咲いてここがわたしの寝るところ (小郡)
鉄鉢の中へも霰 (芦野?)
うしろすがたのしぐれてゆくか (飯塚)
笠へぽつとり椿だった(佐世保)
まったく雲がない笠をぬぎ (阿蘇)
分け入つても分け入つても青い山 (滝下)
冬雨の石階をのぼるサンタマリア (大浦天主堂)
このまま死んでしまうかも知れない土に寝る (高岡)
波音遠くなり近くなり余命いくばくぞ (宮崎~飫肥への道筋で)
年とれば故郷こひしいつくづくぼうし(志市志~都城への道筋で)
山頭火が行乞の旅で詠んだ代表的な句の中から、私が好きな句を選んでみた。
この句の中に大正15年(1926年)~昭和15年(1940年)まで14年間の山頭火の彷徨がある。
こう書くと、
彼の晩年が行乞の明け暮ればかりだったとおもわれるかもしれないが、途中、各地で俳友の熱烈な歓迎を受けて馳走になったり、温泉に招待されたりもしている。
仮寓も求めている。
昭和15年、松山市の御幸寺の境内に庵住して「一草庵」と名付け、そこで生涯を閉じる。
風邪で、
体調の悪いときに読む本ではなかったかな?と度たびおもった。
読み進んでゆくと、惨めな山頭火に嫌というほど出合う。
家を捨て妻子を捨て一所不在の身となって彷徨(さまよ)いながら句作が醜悪に映る。
だが、私が選んだ16句は、素晴らしいではないか。
年とれば故郷こひしいつくづくぼうし
の句に、
私は涙ぐむほど感動する。
これは捨て身の一句である。自分に残っているものがなんにも無くなってしまって、この句が彼の心臓の音になっている。
その心臓も年老いているのだ。
文学を創造する者は、時として心が病むときや痛むとき、あるいは傷ついたり大切なものを失ったとき、陽より陰、豊饒よりも飢餓にあるときに、
すばらしい音色を聞かせ美しい色づきを見せ、みごとな作品を結実させることがある。
それは不条理で非情でもあるが、事実である。
「無駄に無駄を重ねたような一生だった。それに酒をたえず注いで、そこから句が生まれたような一生だった」
と山頭火は最晩年の日記に書いている。
まれの人生を無駄だったと悔いている俳人の残した句が私の心魂を打ち叩き、涙ぐむほど感動を与える。
恐ろしいことである。
(渡辺談より シェアする)