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2016/12/09

探偵物語の、よか男




このベスパ、

右折するだろう??

なぜ?
何か、

斜めっているからだなあ。
2016/12/09

温泉暮らし




温泉暮らしをしたいなあーー
2016/12/09

ああ、いつも眠い




夜になったら、

何か眠れない、

絵を描いてしまう、

昼夜逆転しているなあ、
しんどいなあ。
2016/12/09

松田優作、蘇れ。




2人の息子が、蘇っているじゃねえか、


違う、
息子たちも、其々が良いと想うが、


松田優作は違う、別の生き物だ。

御意。
2016/12/09

ひと休みの勧め





ひと休み、、、

しよっかあ。(ショッカー)

ウイ―――――ッつ!!
(そりゃあ、福田彩乃の吉高由里子ものまね、だろーー)

いーーーーーーい!!
ネ。
(いいね。)
2016/12/09

チームワークの勝利 2



教育の中身のおいて、

学級集団作り(学年づくり)と、部活動は一体化が原則である、

スポーツ先行型なら、プロのスポーツだからである。

だから、

基本は子どもたちのクラス、学級づくりが、底辺の課題である。
34年生と受け持ったと行った。

3年生の時に、
水泳で言うと、
トップの男子が1000メートルを達成した、その子は、一番泳げる子ではあったが、
1000mなどは、無論、未知の領域である。

かなづちだったK子は、綺麗なクロールで50メートル泳いだ、泳ぎ切った。
わずか、3mぐらいのばたばたのかなづちの子が、1か月半後には、50メートルを綺麗に泳ぎ切った。

全員の平均が800mを超えた、隣りにクラスの男女も私の指導範囲だから、750m平均だった、何度も言うが3年生である。

(どうやって、
この泳力を勝ち取ったかは、前ブログでも書いたが、長い話なので、カットしておく。
簡単にいうと、

①泳ぎの概念を変えること
(無理して泳ごうとするのではなく、人間は浮くものである。力を抜いて抜いて、水の中が気持ちよい、助け合う、教え合う、具体的にアドバイスし合う、笑い合う、力が脱力する、脱力は解放である。呼吸はらくに楽しく、水を呑んでもいい。ドル平をさせるが、直ぐにクロールを導入させる。ドル平300メートルで威張っている指導者がいるが、子どもの可能性を奪っているだけである。心の解放から、身体の解放につながる、綺麗なストリームラインが出来るまで、壁をきちんと力をためて、蹴って、どこまで進むかをさせる。25メートルの10メートルぐらいまでいくようになる、クロールの腕かき(ストローク)は大きく、ゆっくり、休んでよい、どんどんやる、どんどん経験する、水遊びを徹底的にする、遊びまくる、褒めまくる、笑わせる、水泳が本気で好きになる。壁をけって、大きくストロークを繰り返す、25メートルの壁についたら、また同じ動作、を繰り返す、きつかったら休んでいい、でもきついのは、無駄な力がどこかに入っているから、そこを私は指摘する、力抜け、大きく腕を廻せ、右と左を同じように、壁をしっかりけれ、力はためて出せ、力は自分の中にある、へたに頑張るな、頑張れは禁止、がんばるな、楽しめえ、1000メートルは、25メートルを40回かべをけるだけ・・・と言いながら、達成したのである。

証拠は、
次の学年の時に、
トップのH男は、2000m、
かなづちだったK子は、100メートルを綺麗なクロールで。
全員の平均1200mであった。平均が1200mです。4年生全員のの平均です。)


3年生の二学期には、
我がクラスは、
算数単元テストで、全員が百点満点を取った。
毎日、
宿題を教え合い、厳しい子のつまずきの具体的なミスに学び、学び続けた、班で学習し合い、教え合い、わからないところを引き出していく、私が授業をリードするときには、

私の方を明確に向かせるが、その間、助け合う班は、小声で教え合い、注意し合い、導き合い、うなずき合う、

算数では、
3年生だから、繰り上がりの有る足し算引き算の間違いなどが、十分にあるが、それらを毎日是正していく。まだ、指使いをこそこそして、繰り上がりの有る足し算引き算を恥ずかしく思いながら、隠す子が多かった。

そのことを、毎日の班学習の中で、教え合っていくのだった、もちろん、百ます計算も取り入れた、爆発的に子どもの計算力が伸びる。百ます計算などは、教師も追い越すようになる。つまり、百秒を切り、60秒の1分を切るようになる。

だから、
基本は繰り上がりの有る足し算引き算の苦手を堂々と克服させて、
計算力においては、
怖いものなしにさせる。
すると、
算数の時間に顔があがる、
間違えていい、間違えは怖くない、間違いを友は笑わない、教えてくれる、支えてくる、本質まで教えてくれる、昨年まで私を下に観ていた目線がまったくない、いや実はあったが、消えていった、そして、尚且つ、喜んで、うなずいて、喜んでくれるようになった、そして私でも、みんなに役立てるようになったと、どんどん、班学習は拡大再生産していく。

そして、
全員が、百点をほんとうにとる、
次は、社会、
次は理科、
最後のさいごは、国語である。

国語は、私は厳しい、漢字のトメ、ハネ、ハライ、は厳しく採点する、だから、しばらく、99点や98点が続くが、いつの日か、その繰り返す間違いを班学習で克服するので、

国語で全員百点満点達成が、成り立つようになる。


本当に子ども達が変容して、隣りの子どもに関わっていくと、本当の変容成長になっていく。
教え方も優しく、厳しく、温かい、

子ども同士、本当に助け合わせると、
信じられない未知の力を引き出しあう、それは自分の性格やくらしからきた弱点や欠点や長所を、補い合う、短所が支え合うと長所になるのだ、

支える側が上から目線だと、短所は短所のままだが、温かいと長所になっていく。

短所は長所の裏返し、長所は短所の裏返しだからである。


こんなクラスの子が、
4年生からバスケをしていって、5年生の冬に、新人戦優勝を勝ち取るのである。

私は、
体育館のステージ側に、
CDをいつも鳴らしておいた、ロッキーのテーマから、ラグビーの「スクールウオーズ」など、リズム感の良いもの、子どもたちのリクエストなども、

ジャンジャン鳴らしておいた。

何だか、
自慢話が、続いているようだが、
それは違う。

学級集団作りというものは。

何かできないことが出来るようになることではない、
マイナスがプラスになることでもない。

人間が人間同士、作用しあって、

丸ごと、変わるという事だ。

学ぶという事は変わることだ、

と、

かの有名な、

林竹二(はやしたけじ)教育哲学者
は言った。

変わらなければ、学んでいない証拠である。

わずか、3年生で、暮らしを出し合い、おのれの差別性や人間丸ごと出し合った学級は、

結果として、

顔が明確に変わる、
とんがっていた眉のN男は、やんわりとしたまゆになり、柔和になった、突っ張らなくてよくなったのである。周囲の差別性や攻撃性にハリネズミになっていたK子もY子も、自分らしさを遠慮なく出していった。

それが解放教育である。

解放とは、次の三つ

自己解放、
人間解放、
部落解放、
である。


通過点として、プロセスとして、

全員百点満点をするし、
心と身体が繋がっている水泳においては、平均1200m泳ぐし、
不登校の子が、ニコニコして、学級学校が楽しいと来はじめる。

部活動でも優勝を勝ち取るのである。


単なる数字の結果だ。

人間、
特に子どもは、

それ以上の結果を出す。




(つづく)
2016/12/09

チームワークと群集心理は、真逆だ

この写真はサンプル例である。本文とは関係なく、イメージである。



ちょっと
勘違いされやすいのが、

チームワーク



群集心理だ。


前者は、意見の往復があり、違う意見もやり方も受け入れるゆとりも余裕もあり、伸びていく方向性が無限である。

後者は、意見の往復が無く、上意下達ぎみで、一方向の価値観だけで成り立っている、ある程度は、異様な空気のなかで、異常な結果を生み出し、歯止めが利かなくなる。反省が無い、非民主的である。


前者の指導例をのべよう。

私は、バスケ女子が、一回も勝ったことがない学校に赴任した。別にバスケ担当をしたくもなかったが、人数の都合で、中心担当になった、
担任は小学3年生を受け持った。
バスケ女子は、当時、6年生はわずか3人しかいなかった。
色々な指導、褒める指導もしたが、なかなか強くならなかった、

あることを思いついた、
県で一番の強い学校の練習予定を電話で訊き、観に行った。そして、次のチャンスで、自分の学校の6年生三人だけを自分の車に乗せて、出かけた。

練習内容、指導内容にももちろん、ついていくのが精一杯だった。
最後のさいごに、3対3のゲームをさせてもらった。つまり我が学校の3名が県で一番の3名と対戦したのである。もちろん、ボロカス、コテンパンにやられた。

でも奇跡は起きるのである。
我が学校の6年生が、なんとか攻め入って、ワンポイント(つまり2点)を取ったのである。
それが、自信となった。

それは、子どもにとって奇跡であった。

得点した子もほかの二人も、県下ナンバーワンの3人から、2点を取ったことが、自慢になり、積極的に動くようになった、失敗しても前向きにして、どんどんチャレンジするようになったのである。

そして、
ある学校と練習試合を組んだところ、

勝ったのであった。

これも奇跡の一勝であった。
私は、部活動通信を書き起こし、子ども達をほめたたえた。その次の年の6年生は人数も増えて、実力を上げていった。

私は、担任としては、34年生を続けて受け持った。
部活動は、4年生からなので、
4年生の時に、入部希望届を持ってきた、20人も集まった、新四年生。
私は、一度も誘いやくどきもしなかった。

誰にも公正平等に、門戸を開いた。

運動神経からいうと、10段階でいうと、1から10までの子が入った。

結論から早く言おう。

この子達が、入部して、一年たった冬あけて、春の新人戦、つまり5年生としてスタート、6年生は一応終わりで、5年生が最上級生になった。

新人戦、21校もあったが、優勝したのである。

わずか、1点差であるが、
初優勝した。

私は、練習試合を多くして、全員の5年生20名をどんどん、出場させた。普通なら、一年間も試合に出してもらえないひとがいる部活動があると聞く。

それほど、部活動は残酷なのか?

あえていうと教育の中身でやっていることだろう、
私は批判してきた。

だから、
私の部活動では、全員主義で、練習してきて、全員を出場させてきて、みんなに得点の経験を積ませた。

やはり、スポーツは、自分が得点、具体的に出来て、なんぼのもんじゃいである。
このチームが初優勝して、その後、連覇するのである。


(つづく)
2016/12/09

群集心理?千葉大学医学部集団レイプも同じではないか?



群集心理の危険性
について、

考えてみる。

極論じゃないと思うけど、
ホロコーストもそうらしい。

先ほど、起きた、千葉大医学部生、及び医師の集団レイプも同じのことですよね。
以前の早稲田や他の大学の何とかサークルも、セックスだけが目当てだった。本当になさけない。

私の件の医学部学生(ひとつしかない熊本大学医学部生)も同様なことが何十年も前から起きている。

合コンで、
ある短大と呑み方をする、目につけた女学生に言いよる、
女学生は、ひょっとして、この人と、仲良くなっていれば、将来玉の輿?院長夫人とと妄想を膨らませる。
医学部生も、それらしきことを言い含める、

実際は、女性のからだ目当てだけで、セックスしておさらば、なかにはかなりの確率で、妊娠させてしまい、金と裏の力で黙らせてしまう、
そんな被害者が、この大学の近辺にはいっぱいいた、

医学部学生は、
それらを否定したひとが多かったが、なかには、認める学生もいた。

==============
参考文献、
あるブログより、
意見をかりる。


今日(5月7日)は、フランスの心理学者/社会学者・ギュスターヴ・ル・ボンの生誕174回目の日です。

 ル・ボンの名を不朽ならしめたのは、なんといっても1895年の『群集心理』(La psychologie des foules)です。

その中でル・ボンは、群集とはその集団の中ですべての個人が意識的な人格・理性を完全に喪失し、

操縦者(場を支配する扇動者)の暗示誘導のままに行動するような人間の不合理(感情的)な集合体であると論じ、

心理学的視点・方法から『群衆の心理・行動の特徴』を明らかにしようとした人物です。


そこでは、

人は何故、一人の個人でいる時には決してしないような非合理的・衝動的な行動を、群衆(集団)になるとしてしまうのか、

といったことをフランス革命やナポレオン戦争、ローマ帝国の政治などを題材にして歴史的・実証的に分析しているのです。


しかし、
今の時代をみてみれば、民主化運動、民族独立の運動、地域紛争、イスラム国、移民排斥、ヘイトスピーチなど、世界中あちことでこのような群衆の怖さ、恐ろしさを象徴するようなことが起きています。

今、世界で起きている群衆の動きは、まさにル・ボンが群衆の分析に恐ろしい程に合致するといえるでしょう。

ル・ボンは、群衆の特徴には、以下のようなものがあると言っています。


(1)感染する
 群集の中にあるメッセージが正しいとかある勢力が憎いとかいう『感情的な空気・感覚』を感染させて広げていき、非合理的な世論(集団の同調圧力)を作り上げていく。

 
(2)過激に走りやすい
 群衆に混ざると個人のモラルは最低レベルにまで低下し、無責任になり衝動的に行動しやすくなる。
 ある人が石を投げたり、物を壊したりすると多くの人が同調し、止められなくなる。


(3)衝動的
 群集の一人になると、周囲にいる人たちの喜怒哀楽や興奮が自分に伝染しやすくなり、ちょっとした刺激に対して過剰に反応して大声を出したり、反対する集団に対して怒ったり暴れたりするリスクが高くなる。
 感情の動揺が強くなり、興奮状態に陥りやすくなる。音楽ライブなどはこのような群衆の興奮しやすい性質を上手く利用している好例と考えられる。

 
(4)暗示に弱い
 群集の一人になると、その場の空気や勢い、扇動(メッセージ)に流されやすくなり、周囲の感情・興奮に同調するだけで自分の意識や責任で判断しなくなるので『暗示』にかかりやすくなってしまう。


(5)時に高い徳性を示す


(6)国民も群衆化する
 個人では思慮深い人であっても群衆にまぎれることによって、無意識のうちに個人としてのアイデンティティが低下してしまい、モノの見方や考え方が単純になる。そのことで結果的に感情的な考え方や行動が顕著になってくる。



(7)反復・断言に弱い
 非合理的な断言を何度も何度も反復して繰り返すと、聞いている人を半ば洗脳してしまう。

 また、合理的な議論・意見の交換を拒否して、自分の主張だけを大声ではっきりと一方的に分かりやすく断言してしまう。

 群集の一人になると、個人としての自尊心や自己規定が曖昧になってしまい、周囲の空気や勢いにただ合わせるだけの知性の低下が起こって、物事の見方や行動の基準が単純化してしまう。

 難しい物事を理性的かつ論理的に考えようとする意欲・態度が群集の中では損なわれてしまいやすいのである。



(8)群衆は同一化する
 群集は『共通の敵』や『賛成できない抵抗勢力』を作り上げることによって団結心・連帯感を高める特徴があり、
自分たちだけが正しいという偏狭性・排他性を持ちやすく、

反対勢力との合理的な話し合いを拒むことで暴力的・衝動的に衝突するリスクが高くなる。



(9)群衆は服従する
 群集の一人になった個人の道徳規範は『責任意識の分散・匿名性』によって著しく低くなり、自分の知識と判断で物事を考えなくなるので『知性の低下』の弊害も起こってくる。

 周囲の誰かが暴力的な言動をはじめると、自分も無意識的に付和雷同してしまい、普段の自分よりも無責任・衝動的に暴力を振るいやすくなる。



海外からみた今の日本は、驚くほどに右傾化していると言われています。

そうしたことは、ぬるま湯の日本の中にいると無自覚のままでほとんど気づくこともないのですが、これはル・ボンが警鐘を鳴らしていた

”群衆は私達の生活とはかけ離れた特殊な状況にあるのではなく、私達ひとりひとりの日常と繋がった先にあるもの”

ということに、今更ながら意識しなければならないことなのかもしれません。



日本は民主主義社会だから安全だ、先進国なのだから、突如として過激な傾向に陥るようなことはないのだ、といった思い込みと無自覚に安穏としてはならないのです。


いかなる社会も国家もいわゆる”悪の凡庸さ”に陥る危険性をはらんでいるのですから、反知性主義といわれる言動が跋扈する今の時代に、日常の平凡な積み重ねの中から群衆化した危険性、危うさは簡単に生まれてくるということを、私達はもっと意識し、注意していかねばならないのです。

先人・賢人に学ぶことは、まだまだあります。

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部活動の
一部の危険性は、ここと大きく繋がっているので、

体育指導者は、勉強しないといけないのである。

あえて、
脳が筋肉だけで出来ているような体罰肯定論者や、
精神論中心主義者は、

怖いです。

どこか、右翼で有り、
ホロコースト先導者と、同じ部類です。

近くに居ませんか、そんな指導者が、そして、文句を言えないひとびとが多いこと。