
イエス・キリストの
十字架の磔の画で、、、、
どきりとしたアングルがあった。
この見下ろした角度である。
いつかは描こうとおもっていた角度だったが、勇気がいった。いちばん痛くて、惨い気持ちがするからである。
数年前、クリスチャンになった。
なったが、
自分の為にも、
ひとの為にも、何にもしていない。
なんにもしていないから、
何の御加護も受けていないのかもしれない。
でも、
自分の担ぐ十字架の重さが、年々重くなっている。どこかに逃げ出したいが、逃げ切れない、あとから、あとから追いかけてくるようだ、
十字架
を背負って、丘も坂も越えることができない。
何にもできていないから、
手を合わせているだけだ。無力を感じることがただ、きつい。